第4話 国境 〜Frontier〜


行けども行けども、見えるのは木々だけであった。
殴られた痛みがまだ体に残っており、何度も立ち止まりそうになった。
モールベアの森…ここら一帯の森はこう呼ばれている。
モールベアとは、モグラのような生物で、背中に身を守るための棘が沢山生えている。
大きさは、最大で人間の膝下くらいで、地面に巣穴を彫って生活している。
性格はおとなしい方だが、彼らの巣穴に近づこうものなら、棘を奮い立たせて向かってくる。
この森には、このモールベアが多数生息しているため、このように呼ばれている。
走りながら、モールベアの巣が無いか、フォールは慎重に見ていた。
流石に通り道に巣が作られる事は少ないのだが、それでも刺されるのはごめんである。
今の所、巣は見かけてはいないが、ラビ、という動物なら寝ているのを見かけた。
ラビ…耳が長いが、手足が無く、体全体で跳ねて移動をする動物。
様々な種類が確認されており、また、この世界の温暖な地域には必ずと言っていいほど生息している。
人を襲うようなことは無いが、前歯で噛まれると相当痛いと聞く。
好奇心が旺盛で、人間でも他の動物でも、興味があれば近づいてくる。
今近づかれたら困るが……足音で起きやしないだろうか…
ラビ自体に近づかなければ大丈夫だろう……そう思いつつ、国境へ向けて走り続けた。

モールベアに刺されるとか、ラビに近づかれる、という心配は杞憂に終わった。
隣国へ行くには、谷を渡りさえすれば良かった。
別に国境を見張っている兵士はいないので、誰でも国境を行き来することができる。
周りの木々が減り、代わりに岩場が増えてきたら、国境近くへときた証拠…
森の中の時よりも、道のアップダウンが激しく、傷だらけの体で走ってきたフォールの体には堪える。
いつの間にか、走ることをやめ、歩くようになっていた…
疲れたこともある…体中が痛いのもある…だが、他の理由がある、とフォールは感じていた。
城の兵士が国境近くで捜索をしていたっておかしくない状況なのだが…
それにしても、国境周りは景色が一変してしまう。
兎に角、道の先が岩に遮られて全然見えない。道が上がるのか、下がるのか…
又、岩が高いせいもあり、日光がほとんど入ってこない…この道が照らされるとしたら、真昼だけだ。

と、急に視界が広がった…谷を挟んで数十メートル先は、もう隣国である。
その国境である谷にかかっているのは…幅が3メートルほどの吊橋…
見るからに頼りない…一体、何人乗っても大丈夫なんだろうか…
そっと谷を覗き込んでみる……太陽の光が届かないのか、谷底が全く見えない。
落ちたら死ぬな…確実に……そんな文章が脳裏を過ぎった。
しかし、一歩を踏み出さなければ何も始まらない…
勇気を振り絞って、フォールは1歩足を橋へと踏み出した。
一歩、また一歩…歩を進めるごとに、橋のロープが嫌な音をたてて軋む。
二度と下を見ないように気をつけながら、更に足を進めていく。
何分掛かったか分からなかったが、兎も角半分渡り切った…そう思ったときであった。

「うわっ!!」

突然、鈍い音と共に足元が沈んだ。しかし、咄嗟に両手を前に出したので、何とか板に捕まることは出来た。
どうやら、踏んだ板が腐っていたらしい…暗い口をぽっかり空けている谷が、
宙ぶらりんの足の遥か下に見え、フォールは板にぶら下がった状態で思わず身震いをした。
落ちながら板に捕まった衝撃で揺れている橋が更に揺れる…
一端動くのをやめ、揺れが収まるのを待った…
腕に全体重がかかり、腕が痛みを伴ってだんだん疲れてくる…
兎に角、ここから橋の上へ這い上がらなければ…と、腕に力を入れようとした所であることに気が付いた。
今掴んでいる板も、少しヒビが入っていた…恐怖が彼を襲う。
が、フォールは覚悟を決め、一気に這い上がった。
バリバリと板のヒビが大きくなる音は聞こえた…が完全に割れずに済んだ。
ほっと息をつき、すぐに駆け出した。橋の揺れを気にしている暇など無かった。
わき目も振らず…渡り切った橋を振り替えようとせず……兎も角走り続けた。

数分か…数十分か……どれだけ時が過ぎたのか分からないほど夢中で走った。
しかし、疲労が彼を襲う………限界に達し、少し休憩を取る事に決めた。
まさか……何か谷底へと落ちてないだろうか……ふと思い、急いで鞄の中を確認した。
と、その前に確かめるものがあった…ポケットへと手を突っ込む…あの紋章は無事だった。
ついでに言えば、ネックレスも、形見の剣も…

「……ふぅ…」

思わず溜め息が出てしまった…木に背をもたれつつ、空を見上げた…まだ太陽は真上ではなかった。
雲がゆっくりと流れていく……柔らかい風が、フォールの髪を揺らして通り過ぎて行った。
改めて鞄の中を確かめた……特に何も谷に落ちなかったようだ…
ついでにと、中からパンを取り出しかじりついた…城を出たときから何も食べていない。

パンを頬張りつつ、フォールはホークからもらった紋章の刻まれた飾りを眺めた。
と、あることに気が付いた……自分のネックレスに付いている飾りと大きさと形…更に材質も同じである。
何か関係が…?と思ったが、考えないことにした。
今は一刻も早く国から遠ざかるのが先決だと判断したからだった。
口の中に残っているパンを飲み込み、フォールは再び歩き始めた。
走っている時には全く感じなかった柔らかい風が心地よかった。
いつの間にか、非常時以外は走らないでおこう…と心の中で決めていた。
歩きながらもう一度空を見上げた……先程とほとんど変わらない真っ青な空だった。


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